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猿沢・大満虚空蔵尊(だいまんこくぞうそん)/村上市 村上市市街地北方の葡萄山塊・虚空蔵山の南側には 猿沢集落があり高根川水系の水運、出羽三山にも通じる出羽街道があり 往古より中世の山城や居館が置かれるなどして交通の要衝でもあった。 猿沢地区には出羽三山信仰、山岳信仰の普及による、 日本三大虚空蔵尊の一つの大満虚空蔵菩薩の信仰があり 街道筋の宿場町として発展してきた。 天平2年(730)僧行基が北国巡業の際に、 当地を訪れた時、民衆の苦難を救済する為、山に登り大満満虚空蔵尊を 刻み山に安置した。 その後、保元2年(1157)、後白河天皇第3皇子・雲上佐一郎が下向した際、 山に登り一宇を建立し岩窟の大満虚空蔵尊像を堂宇に安置させ、 奥の院とさせた。 この山を虚空蔵山と呼び、その近くの池を菩提池と呼ぶようにな ったという。 元和4年(1618)、村上藩村上城主・堀丹後守直竒公は信仰厚く 女人結界の当山の掟の山であったが 全ての民衆に救済をする為ニレ沢に拝殿・一乗院を建立し、 分身の尊像を安置し、福徳、知恵、円満を祈願した。 拝殿
柳津温泉 柳津温泉という温泉場に宿泊。 柳津町にある静かな温泉場には、千葉、茨城とともに日本三大虚空蔵尊の一つである福満虚空蔵尊があります。 縁起によれば、弘法大師・空海が、唐の高僧から霊木を授かり、帰国後にその木を三つに分け海に流したところ、茨城県東海村、千葉県天津小湊町と、会津柳津町に流れ着いたと言われています。 大師はその木で虚空蔵菩薩を刻み、それを受けた名僧・徳一大師が、この会津柳津町にお寺を開いたと伝えられているそうです。 生前祖母は、この柳津温泉をとても気に入っていました。そこで、お寺で法事を済ませると、会食・宿泊をかねて、この柳津温泉を訪れます。今回は20名の親戚が集合しました。 祖母からみれば孫、ひ孫に至るまで、賑やか。温泉宿は貸切だったため、子供たちは走り回って楽しんでいました。 法事の前には、祖母が愛していた畑も訪れました。 今は祖母の長男である叔父が引継いで畑を守っています。ジャガイモ、枝豆、トマト、ナス、トウモロコシなどが、綺麗に植わっていますが、叔父は定期的に所沢から会津まで車で通い、畑作業をおこなっ
天津小湊、清澄寺(セイチョウジ) 千葉県天津小湊町、千光山・清澄寺(セイチョウジ)、日蓮宗 清澄寺はキョズミテラとも云われて、日蓮聖人が12歳の時天津小湊からこの 寺に入り、道善法師に師事して修行したお寺です。正式には千光山・清澄寺 (セイチョウジ)ですが、キョズミデラの呼び名が定着していろようです。 清澄寺は天台宗の寺でしたが、その後真言宗に改宗して、昭和24年に日蓮宗 に改宗しました 千光山・清澄寺(セイチョウジ)の仁王門 千光山・清澄寺の広い境内、一段高くなって本堂や祖師堂、中門がある 千光山・清澄寺の本堂、ご本尊は虚空蔵菩薩 千光山・清澄寺の祖師堂。771年(宝亀2年)開基、不思議法師 千光山・清澄寺の中門(チュウモン)、県の文化財になっている 千光山・清澄寺の梵鐘(ボンショウ)、県内でも最古と言われる 清澄寺の古い宝篋印塔(ホウキョウイントウ)、室町時代の作 千光山・清澄寺の千年杉、ご神木ならぬ御霊木。国の天然記念物になっている 771年に天台宗の寺とし
日蓮大聖人、身延山久遠寺 日蓮大聖人、身延山久遠寺 Weblog / 2008年04月11日 桜の花がとても綺麗でした。 春の優雅さを実感できました。 ここ身延山へ入山して9年もの間、日蓮もめでる事ができたのだろうかと少し気にしてみました。 日本人であって本当に良かったな!と思える花は桜ではないだろうか? 四季を感じ守られながら過ごした日々は南部六郎実長(さねなが)公のお陰なんだろうと思った。 安房国(あわのくに)小湊(現・千葉県天津小湊町)で生まれた日蓮大聖人が、鎌倉時代の建長5年(1253年)、安房国清澄で立教開宗したのが日蓮宗の始まりです。その後、日蓮大聖人は、鎌倉幕府からの幾多の弾圧・迫害を経て、文永2年(1274年)、熱心な信者であった甲斐国(かいのくに)波木井郷(はきいごう)の領主、南部六郎実長(さねなが)公に招かれ身延山に入山。 以後、9ヶ年にわたり、日蓮宗の礎(いしずえ)を築きました日蓮大聖人は、弘安5年(1282年)、病気療養の為、常陸国(ひたちのくに 現・茨城県)へ向かう途中、武蔵国(むさしのくに)池上(現・東京池上)に於いて、61歳で亡くなりましたが、そ
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